2026/05/04 09:01

"一番身近な他人"


家族は一番身近な他人。
それは、『血縁や法的な繋がりがあっても、個々の感情や価値観は異なる「独立した個人」であること。』を示します。


親も、兄弟、姉妹、夫、妻、子でも平等にそう。


家族は自分の世界の単なる"登場人物"じゃない。

単なる、甘えの対象じゃない。

一人の個人として、家族はそれぞれを尊重し、そして"敬意"を払う。


しかしここまでは理想です。。


現実は、悲しいかな

"家族"という確固たる存在だからこそ、理解し合えないことに矛盾を感じて、

さらには、甘えから対話を放棄してしまう。


心ではわかってはいても、知らず知らずにそうなっている方も多いと思います。


私もぼんやりとそう思って生きていた期間が長くありました。


でも徐々に、それは、ちょっと違うかも。とおもったんです。


家族でも、会うたびに"違う部分"が必ずあるという気づきがあったからです。

自分がそうな様に。


自分が会っていない間も、それぞれが人生を歩んで、

何かを学んだり、誰かと出会って価値観を塗り替えたり、

何かに感動して魂を揺り動かしている。


自分も、そして家族も変わり続けてるから、お互いが理解するのにはそれなりに時間と労力が必要なのかも。

って思ったんです。

歩み寄って、関係を積み上げていく"努力をする"ことを忘れてはいけないって気づいたんです。


家族だからと長年の勘で"憶測"することまではできるけど、結局分かり合えないと嘆くのは、

そこにリアルな"対話"がないからとも思います。


少し態度で表してみても、短い言葉で伝えてみても、伝わらないのは他人だからあたりまえ。


全ては"対話"を使って伝えることがスタートだと思うんです。


もう本当に、これだけ。

どれだけ文明が発展しても、

人と人が分かりあう手段は"対話"。

手紙でも、電話でも、会ってならなおさらいい、でも、絶対スマホ以外で伝える。

これしかない気がしてます。


わかってはいるけど、

伝えるのは、なんか恥ずかしい。

でも、

一番身近な他人には、それを恥ずかしげもなくできる権利がみんなにある。


そして、別に、最終分かり合えなくてもいいとも思います。

めげたら途中休憩も全然あり。

でも、やったことが無いのであれば、まずは伝える努力は怠ってはいけないと思うんです。


色々な家族のかたちがあるし、全ての人に当てはまらないかもしれないですが、

私もその中の一人として、少し思ったので綴ります。


人間関係には正解がないし、うまくいかない事も多いですが、


せめて、身近な他人とだけはうまく行きたい。


できれば、家族だけでも、

みんなが気持ちのいい存在でいたい。

最近思う事です。

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