2023/04/12 11:02
なぜかこのことについて真面目に考えてそろそろ、不真面目に自己解決たくなりました。
むかしから
"真面目だね"
"無理しすぎないでね"
と良く言われます。
自分では意図して真面目に生きようとしてませんし、
自ら無理しようとしてるわけでもありません。
疲れたら休んでるし、ダラダラもしてます。
ここはグレーだよね?ってところで程よく柔軟な選択もして来ましたし、別に仏の様な心で日々を生きて来たわけでもありません笑
なのに、度々言われるこの言葉。
何故なんでしょうか。。
常識や倫理の範囲で生きてたら真面目なのかな?
人の憶測を超えた行動をしないから真面目なのか?
突出した個性がないから真面目ということかな?
若い頃の私は
これでもかというほど、"真面目"と言う言葉に対して敏感になっていて、嫌悪感を抱いていました。
そして、それはまだ今も。。
そしてこれは一概に、、、
要領が悪そうだけど、だいじょぶそう?
ということなのかも知れない。
というふうにも最近思います。
これは棘のある言い方ですが笑
それにしても、こう言う類の言葉は
言われると少なからずモヤっとしますし、
私はどなたかに使う褒め言葉には使いたい言葉ではありません。
褒め言葉ではないと言うことは、幼心から分かっていましたし、35歳になる今でも、たまにさらりと言われ、ちょこっとちくりと来ます。
メンタルが弱ってる時は
正直に言ってうんざりとしてしまう事もありますし、
若い頃は、じゃあどうすればいいのよー!と思って不貞腐れる事もありました。
しかし、最近は
側から見て、
“その人達の物差しで測る"(ここが大切)と、
私は人より無理"してそう"
私はその人から見て、より"真面目"
(もしくは要領が悪い)
という事なんだと思って、
人の物差しが関係する言い回しだと知ってから、モヤモヤが少なくなりました。
例え多数派であろうとも、
人の物差しで測る物事は、実際の事実とは異なる。
これは真を得ていると知っているからです。
ここからはちょっと難しい話ですし、
私のだいすきな精神世界の話です。
そして不真面目に話していることをお忘れなく。笑
全ての事象は"球体"だと思うのです。
球体である地球儀に正面が無いように、人が見ている事実も球体といっしょで、私たちが正面で捉えられるのは、その球体の一面でしかないのです。
地球儀を"事実"とするならば、
ある人が、目の前に置かれた地球儀を見て『正面には日本があるよね』と言われても、私が見ている地球儀の正面にアメリカ大陸があるとすれば、『何を言ってるの?アメリカだよ』となるということ。
人それぞれ、同じ物事を見ていても捉える角度が違うだけで印象も、要点も、感じ方もちがう。
地球儀を上から見る人もいれば、下から見る人もいるし、地球儀を俯瞰して見ることで自分の意見を述べない人もいる。
角度は人さまざまで、細かいディテールを言い出したら本当にたくさんで。
捉える事実は本人の中にしかない。
正義や悪ということばもそうですよね。
その人から見て、正義。
その人から見て、悪。
これがあるから、争いはこの世から無くならないとも言われています。
なんだか壮大ですが、
私の地球儀の正面は子供の頃からずっと変わらないのです。
だから、ある人から見たら私はきっと頑張りすぎているし、真面目すぎる。
でも、事実が球体であることを知った限り、
さまざまな人から色々な角度で、色々な物差しで見られる自分は、自分が知り得なかった自分に会ったり、
はたまた、自分を悩ませるきっかけを排除する手助けになってくれたりして、
うんざりすること以上に気付きも多いのも一つの事実です。
当の私は、こういう記事を真面目にひたすらにこつこつ書いている、"バカ真面目"だということを存じております。
人は自分のことを易々と言い当てられると、
否定したくなるんですね〜笑
人により、様々な世界線はあれど、
みんな同じく現実を生きている。
自分の物差しは人に当ててもあまり役に立たない事を知った、自らを深掘るブログでした。
みなさんは
これを言われたらちくりと来る言葉はありますか?
きっと、自分とは規格外の物差しで測られた無意味な言葉かも??